これの何が面白いかというと, まず1つには「内臓ハードディスク」のような よく見られるミスに対する対象化のまなざし, そしてもう1つは 文字形態に依存しない現在の文字コード系に対する揶揄という面だと 私は思っています。表記された語を構成要素から理解する認知的な研究は 様々に行われていますが, 実際にはそれは文字コードには反映されて おらず, 計算機内部の文字表現は全く恣意的な対応によって決められています。 (ですからたとえば, 'Nitamogize' された文字列を茶筌で形態素解析すると とんでもないことになって, とても解析できません。)
しかし, 人間にとってより近い情報処理を実現するなら,
萩谷先生が
おっしゃっているように, 文字とその図像表現は区別される
べきではなく, 透過的に扱えるべきであると思われます。
Unicode はこの方向性に対する一歩であるかもしれませんが,
文字コードに関するきわめてかまびすしい議論は, 表現に関するこのような
本質的な点を見落としているように思えてなりません。
いずれにしても, 「内臓」のような間違いは機械で簡単に再現できるのですから, あまり気にしない方がよいと思われます :-)