time of universality
― Swatch beat をめぐって

Daichi Mochihashi
daiti-m@is.aist-nara.ac.jp
May 14, 2000

1. beat とは

Swatch beatは、スイスの Swatch社MIT Media LaboratoryNegroponteとの協力の下に 1998年に発表した、1日を 1000 beat = @1000 に分割する新しい時間単位です。 この単位の下では、 @0 が 0:00、@500 が正午となり、 @1 = 1 beat は 60×60×24/1000 = 86.4秒(1分26.4秒)になります。

有史バビロニア以来の12進法に慣らされた私達にとって、 これはとても魅力的な 提案のように見えます。というのは、 私達は例えば「11時」という時間を聞くと、 無意識のうちに時計を考えて時針が330°の位置にあることを思い出し、 正午まであと午前中の1/6だな、というような判断をしている (正確に言うと、後に述べるように、そのように解釈する教育を受ける) わけですが、beat を使えばそのような複雑な判断は必要ではなく、「今 @400 だから、 あと正午 = @500 の昼食まで @100 だな」とすぐにわかりますし、午前・午後を またいでいても、10:00-3:00 = (12:00-10:00)+3:00 = 5:00 のような複雑な計算 をすることなく、 @700-@400 = @300 と簡単に求まります。
またその結果も、@100 は1日の1/10に相当しますから、勤務時間が例えば @400―@800 であれば、1日の40%だとすぐに解釈することができます。 多くの人はもう身についてしまっているために忘れていますが、小学校の頃 時計の長針、短針、秒針を正しく解釈するためにいかに多くの時間が費されるか (おもちゃの時計を使って勉強したことを覚えている人もいるでしょう) を考えるとき、その与えるメリットはきわめて大きいものであると考えざるを 得ません。

しかし、beat は発表当初こそ beat を表示する時計も Swatch社から発売され, 大きなキャンペーンが打たれましたが、最近になって beat は下火になり、 この革新的な単位は記憶の中に消え去ろうとしているかに見えます。 しかしながら、これは beat の持つ内在的な瑕疵ではなく、beat の提唱する もう1つの要素を Swatch 社が誤ったからであると私は考えています。 それは 「統一時」という概念です。

2. beatと「統一時」

beatはもともと、'internet time' というコンセプトが示すように 「インターネット 時代」に対応する新しい時間単位への要請として始まりました。 したがって beat とは世界共通でなければならず、その時間的基点がスイスの Swatch 社に置かれたのです (Beal Mean Time (BMT))。すると当然、日本では 一日の始まり(従来の0:00)は @666 という変な時間に置かれ、10進法の与える明快な 秩序に負うことのないまま時間が測られることになるのです。いうまでも なく、これは間違いです。人間は世界共通の '情報空間' に暮らしているわけでは なく、局地性に根ざしたローカルな生活の中で共通空間にアクセスしているから です。「時間単位を変える」という概念と「標準時を設定する」という概念を 分離せず、混同してしまったことが beat の敗因でした。ここではむしろ, beat を 'local beat' のようなものとして、各地域それぞれで @0 = 0:00 とし、各地域間でのその差分(オフセット)を周知するようにすべきでした。こうすれば, 他の地域での時刻を知りたい場合、その差分を加えて mod 1000 の余りを取れば すみます。
このように修正された beat であれば、もう少し世界に受け入れられていたかも しれません。このページの下に表示されている時計は、この修正された beat (local beat) です。Swatch beat と区別するために、# を記号として用いました。 私見では、やはりコンパクトでわかりやすい時間表示だという気がしています。

3. 構造と連続化

さて、すると、次に出てくる問題は「では'秒'のような細かい時間単位はどうする のか」という問題でしょう。 最初に述べたように @1 = 1分26.4秒ですから、beat だけでは細かい時間を測る ことはできません。
この問題は millibeat = @1/1000 のような単位をさらに加えればとりあえずは 解決しますが、従来の時/分/秒の単位の、針の動く角度によって 幅としての時間を測るのが容易である、という利点は覆せません。この解決を考える ためには、beat の従来単位との本質的な差に目を向ける必要があります。 それは、前者は連続的な単位であり、後者は構造的な単位であるということです。

時/分/秒の単位は、後者が前者に含まれるという形で構造化されています。 ある「時」はある秒に属し、それはある分に属し、それはまたある時に含まれる, という形で階層化されているために、ある階層=カテゴリ(例えば「分」)の中での 位置を見ることによって局所的な把握が容易になるという特徴があります。 360°を1000beat に分割してしまえば数beatの差はほとんど目には見えませんが, 同じ長さの時間を分と秒で表すことで視覚的に捉えるのが非常に容易になります。
しかしこれは同時に、それらのカテゴリにまたがるような量を捉えるのが難しくなる という二面性を併わせ持っています。57分22秒から 1時間12分35秒まではどれくらいあるのか? すぐには判断することができません。 このような困難さは逆に、私達がその困難さのゆえに複数のカテゴリにまたがること を嫌い、カテゴリに沿って思考しがちであることを意味しています。

これに対し、beat による時間はフラットな連続性を志向します。0〜999という 人間にとってなじみ深い自然数で表現された時間にはいっさいの障壁がなく, 今日から明日へとあくまでフラットに連続しています。もちろん数である以上 記法から逃れることはできませんが、10進法は我々にとって最もなじみ深い記数法 であると同時に、(アラビア)数字による表現自体が10進法を志向していることを 見逃してはなりません。

このような連続性の中で、小さい時間という局所性はどのように表現されるのか? 答えは連続性自体の中にあるでしょう。すなわち、時/分/秒のように カテゴリを切り替えることによって捉えるのではなく、任意倍率の連続的なズーム によって局所性を捉えていく、という方向性です。

時間は従来のように単位円を一日とした扇型で表してもかまいませんし, 横に伸びたスライドバーによって表示することもできるでしょう。いずれも拡大率を 調整するためのつまみが付いており、それによって必要な部分を必要なだけ 拡大して時間を把握することができます。このとき'範囲外'の時間については単純に 枠の外に追い出すといった方法でも構いませんが、むしろ底の連続的に変化する 対数軸によって表した方が、「枠」を規定しないがゆえに有用ともなるでしょう。
時間を連続的に表せば、先の時間計算のような問題は単純な10進法の引き算によって 解決します。そして倍率が可変であることから、例えば「午前」(@0―@500)だけに 絞って時間を見ることもできますし、またプロジェクトの工期の数日間をフラットな 流れの下に一望することなども可能になります。

このように時間を連続的に表すことにはさまざまな長所がありますが、ではなぜ そのような表示が今まで実際になされてこなかったのかといえば、それは主に 技術的な理由に依っていると思われます。連続的なズームと時間表示範囲の拡縮が 必要となるフラットな表示は、歯車とばねによって機械的に実現されていた 時計の時代には不可能な技術であったでしょう。しかし今や、計算機によって 全く自由で動的な表示が可能になったのです。軛を取り払ったフラットな時間 概念をどのように扱っていくかは今後のデザインを待たねばなりませんが, それは新しい土地であり、人によって変化する可能性を秘めた空間です。 古い階層主義に縛られる必要がないことはもはや明らかでしょう。

カテゴリ化による構造主義から自由な連続体への脱出。自由になった時間の下で、人は これまでのように「3時45分」のような単位に縛られた発想ではなく, @700 に待ち合わせて @800 に食事したり、@727 や @509 のような素数に 待ち合わせる人すら現れてくるかもしれません。

4. 付録


daiti-m@is.aist-nara.ac.jp
Last modified: Thu May 18 #21 JLB 2000