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Daichi Mochihashi (持橋大地) daichi <at> ism.ac.jp by hns, version 2.10-pl1.

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2009年09月07日(月) [n年日記]

#1 京都→下関

青春18切符が余っていたので, 週末を使って, 各駅停車で京都から下関まで 行ってきました。 *1 ちょうど, 夏に東京に帰省した帰りに18切符を使って, 昼間に東京→京都まで乗って帰ってきたので, これで東京から下関 *2 まで, 普通列車で走破したことになりました。
以下, 鉄な人や常連の18きっぱーの人には常識の部分もあると思うので, そういう人は 飛ばして下さい。

物理的には子供の頃から寝台特急で何回も通っているのですが, 山陽本線を通る時は大抵夜中なので, 実際にどんな風になっているのか興味があり ました。

山陽本線の普通列車の乗り継ぎはWebにはそれほど情報がないようで, 時刻表を買って 調べると, 9:30京都→11:28相生→14:48三原→18:44新山口と, 何と京都からたった 2回乗り換えるだけで下関まで行けることを知りました。 *3 下関着は20時くらいになって外が見れず意味がないので, 今回は新山口に宿泊することに。 14:48三原発19:53下関着の快速シティライナー, というのがとにかく驚きで, 何と5時間もとてつもない長距離を走り抜ける普通列車のようです。

実際に乗ってみると, 相生から岡山までが非常に本数も少なく, 山の中のものすごい田舎で, ここが山陽本線の「本体」, アキレス腱なのではないか, という感想を持ちました。 The・日本の農村, みたいな風景が続いて感動的です。
ただし, ここも山陽本線の一部ではあるわけで, 思ったのは 寝台特急が最近廃止されていますが, かつての黄金時代にははやぶさ・富士・さくら等が皆毎日ここを通ったのだなぁ, ということ。これほどの田舎であっても, 日本の社会を支える重要な役割を負っ ているという自負の下に保線の方は働いていたのではないか‥ などと想像しながら 風景を眺めていました。

翌日は朝, 新山口から下関へ行きましたが(1時間ほど), 下関駅は, 降りると昭和の匂いが漂っていて, 具体的には昭和57年みたいな感じでした。 ただ, しばらく歩くと港町らしく, もっと現代的な感じに。 かつて本州の終端として東京・大阪と並ぶ一等駅だったという過去を反映してか, 山口県第一の都市としてか, 大会社の下関支店が海沿いに並んでいます (なぜか日本生命などの生保の支店が目立っていた)。

これまで新幹線で駆け抜けるのはまるで, 数学の証明を終わずに定理だけ使うような 気持ち悪さを感じていましたが, これでだいぶ様子が分かって, 安心できるような 気がします。
色々考えたこともあり, 示唆深い旅行でした。

帰りは小倉から普通にのぞみで帰ってきましたが, 午後2時に厳流島を出たのに, 6時間後の夜8時にはもう京都の自宅にいたとは, 日本の技術凄すぎだろ.. のような 感じがします。


*1: もう少し立場が上がると, そんな暇なことをしている場合ではなくなるのが 目に見えているので..。
*2: 正確には小倉まで。
*3: 下関からは門司まで出れば, 門司から直通で鳥栖行きがあるので, 門司→鳥栖→長崎と, 長崎までたった一回乗り換えるだけで行けるようです。

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